遠洋航路の機関長の
海外見聞写真帳

(目次)
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プロフィール
ヴァティカン市国  CITTA DEL VATICANO
原名Stato della Citta del Vaticano
     (state of the City of Vacation)

          ヴァティカン市国はローマ市内にある世界最小の独立国で、法王はここ、法王庁より全世界5.5億のカトリック教徒を統治する。
法王庁は、もとローマのLHTERAN(ラテラーノ)宮殿であったが1309年、南フランスのAVIGNON(アヴィニヨン)に移転された。(フランス皇フィリップ4世は自国人クレメンス5世を皇教(法王)にたて、以降7代69年間法王庁はアヴィニヨンにとどまった。)  ヴァティカンは1377年、法王がアビニヨンからローマに帰って以来、歴代法王の所在地となった。 1926年(昭和4年)2月11日、法王庁とイタリア政府との間のラテラーノ協定の結果、独立国と決められヴァティカン市国の名称となった。
 ヴァティカン市国の長は法王である。 面積は44ヘクタール。(日比谷公園の約3倍、モナコ公国の1/3)
他に、ローマ市内には、サン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ教会、サンタ・マリア・マッジョレー教会、サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ教会、カステル・ガンドルフォ等の法王の別荘などの他、イタリア国内に散在する12の治外法権の建物が認められている。
 人口:約1000人。 切手を発行し、貨幣を作る。 貨幣はイタリア国内に通用し、単位はリラ 交換率は1:1 デザインは法王の肖像が違うのみである。 鉄道の駅を持ち、新聞"Osservatre Romano"を発行し、放送局もあり全世界に短波放送を送っている。 警察官はミケランジェロがデザインした服を着ている。


                 
 
 ヴァティカン市国
 1 宝物館・聖器室
2 美術館
3 図書館
4 郵便局
5 印刷所
6 絵画館
7 ピオ四世の別荘
8 ベルヴェデーレ内庭
9 システィーナ礼拝堂
10 知事官邸
11 エチオピア神学校
12 放送局
13



枢機卿と法王選挙
  枢機卿(Cardinale)は法王の最高顧問であり、ローマ法王と元老院を構成して法王を助ける役目を持ち。法王によって任命される。 枢機卿は、新法王を選出する権利を持ち、終身制の法王が没すると新法王の選挙が行われる。これをコンクラベ(Conclave)と云う。 語源はラテン語で「鍵をもって」という意味で、法王選挙会が外部からの干渉を避けるために、外部と鍵で遮断する意味であろう。
  新法王は習慣として法王選挙会に集ったイタリア人枢機卿の中から選ばれている。投票は決定するまで一日に二回システィーナ礼拝堂で行われ、2/3+1票以上の得票が必要である。 投票結果は、投票用紙を焼き捨てる際の煙の色で知らせる。 黒ならば未決、白い煙なれば新法王が決定したことを告げる。



PIAZZA S.PIETRO サン・ピエトロ広場
  円柱列の回廊に囲まれた壮大な広場で1650〜67年にかけてベルニーニにより完成された。 4柱列の楕円形のこの回廊は、284本の円柱と88本の壁に組み込まれた片蓋柱で構成され、140の彫刻像で飾られている。 広場の中央には、古代ローマのカリグラ帝時代エジプトから運ばれた高さ15.5mのオベリスクが立っている(ここに立てたのは1586年)。 オベリスクの左右に高い噴水があり、右の噴水は1613年に建築家マデルノによって作られ、左のものは1675年ベルニーニのコピーである。 オベリスクと各噴水の間にある白い石から回廊を見ると4本ある柱列がすべて1本に見える。即ち、回廊の柱列の焦点である。
 広場から見て、正面に大円蓋のあるサン・ピエトロ寺院、右手がバチカン宮殿で、この回廊の上の大きな建物は法王の書斎のある建物で毎日曜正午に最上階の右から二つ目の窓から法王が姿を見せて祝福する。



S.PIETRO サン・ピエトロ寺院
 使途ピエトロの死屍はネロの治世、使途が十字架に処せられた場所に埋められた。326年コンスタンチヌス大帝がこの墓の上に壮麗なバシリカを建立した。 「汝は磐(ぺテロ)なり、我この磐の上に建てん」このマタイ伝にあるキリストの言葉に従ったものである。 法王庁がアヴィ二ヨンにあった間、寺院は修繕が不可能な程に顧みられなかった。
1452年 法王ニコロ五世によって再建が命じられた。
1506年 法王ユリウス二世の下にブラマンテの設計で工事開始。
工事監督はラファエロ、ペルッツィ、サンガッロ・イル・ジョバネと代り
1546年 ミケランジェロが任命されプラマンテのギリシャ十字形(正方形)の平面とし壮大な円蓋を設計した。
1564年 ミケランジェロが死ぬまでかなりの所まで出来上がった。
1605〜1621年 パオロ五世の時マデルノが最後にラテン十字型(長方形)に決定し」、教会の前廊部が長くされた。
1626年 法王ウルバヌス八世によって献堂式が行われ完成した。

【規模】

総面積 15160u
総奥行 211.5m
内部奥行 186m
正面間口 114.69m
正面高さ 45.44m
内部 中央廊幅   27.50m
内部中央廊高さ   44m
左右袖廊の幅 137.5m
円蓋の直径 42m
円蓋の高さ 132.5m
セント・ポール(ロンドン) 奥行 158m
パンテオン(ローマ) 大円蓋の高さ   43.4m

サン・ピエトロ寺院
1 ピエタ像
2 秘跡の礼拝堂
3 聖ペテロのブロンズ像
4 法王ピオ六世像
5 天蓋
6 法王の祭壇
7 聖ぺテロの墓
8 ウルバノ八世の墓
9 聖ペトロの司教座
10 パオロ三世の墓
11 地下室(法王の墓)への入口
12 バレストリーナの墓
13 宝物館・聖器室
14 クレメンティーナの礼拝室
15 ドームへの登り口

【正面】
・・・・設計はマデルノ
上部にはキリスト、洗礼者ヨハネ、聖ペトロを初め使徒の彫像が立ちその左右には二つの時計がある。 正面入口の上のバルコニーで、宗教祭日などに、法王が広場に集まる群衆に祝福を行う。
【入口の間】
中央入口の内部の上には、ジェットによる「ノアの方舟」のモザイクがあるが、かなり補修されている。 入口の間の左端には「カール大帝の像」18世紀、その奥にベルニーニの「コンスタンチヌス大帝像」1670年がある。 内部の身廊へは、五つの扉があるが中央のブロンズの扉はフィラレーテ作(1439〜45年)で旧教会につけられていたもの。 一番右の扉は聖年にのみ開かれるものである。内部は巨大な空間と豪華な装飾、2列の巨大な柱列で三つの廊に分けられ、奥に大円蓋、大円蓋の左右に袖廊がある。
【中央の身廊】
大円蓋の下、手前右側に「聖ペトロのブロンズ像」があり、その足は信者の接吻や手で触れて摩耗している。 大円蓋の下は法王の祭壇でベルニーニのブロンズの天蓋で覆われている。(1633年)このブロンズはパンテオンからはがされたものだという。 祭壇の下は聖ペテロの墓で、墓の前に膝まづくのは、カノーバ作の「法王ピオ大世像」。 更に奥の後陣には、上部に聖霊の象徴鳩のステンドグラス、その下はベルニーニ作のブロンズの巨大な「聖ペテロの法王座」があり(1656〜65年)。この内部に聖ペテロが使用したといわれる木製の椅子、司教座が包み込まれている。 右には、この聖堂が完成した時の法王ウルバノ八世の像がある。 左には、グリエルモ・デッラ・ポルタ作のパオロ三世の記念像(1534〜1549年)。これは恐らくこの聖堂内にある最良の作であろう。
【右側廊と右袖廊】
数多い祭壇にはモザイク画がつけられ、又多くの法王の墓がある。 入ってすぐ、第一礼拝堂祭壇上にミケランジェロ(24才1500年)制作のPietaピエタの白大理石像がある。十字架から降ろされたキリストを、聖母マリアが膝の上に抱いて悲しみに沈んでいる。マンドの肩へゆく飾帯にミケランジェロが初めての名前を刻んだ。 三つ目の礼拝堂は秘跡の礼拝堂(Cappella del Sacramento)、ボッロミーニ作の鉄の扉がある。正面にはベルニーニのブロンズの円型の神殿を模った祭壇がある。 右袖廊を超え更に奥へ進んだ右側にカノーヴァ(1784〜92年作)の代表作クレメンテ十三世の記念像がある。
【左側廊と左袖廊】
左袖廊向って左側に宝物館と聖器室への入口がある。入場料あり。 第三と第二礼拝堂反対側の壁面にはポライウォーロ作1498年のブロンズのインノケンチウス八世のモニュメントがある。第一礼拝堂には洗礼盤が置かれている。
【法王の墓】 Tombe dell Papi
教会の地下は法王の墓になっており、入口は大円蓋下の左角。
【大円蓋】
左側廊第一第二礼拝堂の間に教会屋上と大円蓋へ上る入口がある。 エレベータでも、階段でも、一度屋上へ出るとさらにドーム頂上に上る小さい入口がある。ドーム内部を見て、螺旋階段を537段上ると、展望は素晴らしい。 明るいミケランジェロ設計の大円蓋は、円蓋が構造的に二重に重なっており、その間に階段がつけらている。



ヴァティカン宮殿 Palazzo dell Vaticano
1377年法王がフランスのアヴィニヨンからローマへ帰って以来の法王の住居である。ヴァティカン宮殿には各時代、最古は13世紀末から多くはルネサンス時代の建築で、1400以上の礼拝堂、広間、応接室、博物館、美術館と11,000室あり、廊下、中庭、庭園とあらゆる種類の豊富な芸術的至宝があり、幻想的、壮大な建物全体として一つの世界である。
更に、ルネサンス以後の大芸術家で此処に、その天才的不朽を刻印しなかったものはない。

≪ヴァティカン美術館 Musei e Gallerie del Vaticano≫
入口は、ヴァティカン市国の北側城壁沿いの道(Viale Vaticano)に面し、いくつかの美術館、礼拝堂、元宮院の居間から成立っている。

【絵画館】 Pinacoteca
美術館入口を入り庭に出た右側にある。
ビサンティン、中世から始まり現在に至る宗教画主体の絵画郡、ジョット、フラ・アンジェリコ、ティツィアーノ、カラヴァッジョ、ラファエロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ等の作品がある。

【ビオ・クレメーンティー美術館】 Museo Pio-Clementino
中庭をへて入口を左側へ入ったところで、ギリシャ、ローマ彫刻を中心に14室。
・ギリシャ十字架(正方形)の広間
聖エレーナの石棺、コンスタンティーナの石棺(コンスタンティヌス大帝の娘の石棺)
・円型室・・・一世紀の床のモザイク
・ヘルヴェデーレの中庭
ラオコーン(前一世紀)、ベルべデーレのアポロ(前四世紀のギリシャ彫刻のコピー)

【キャラモンティ美術館】 Museo Chiaramonti
前記美術館の階段を降りた館。長い廊下のギャラリーには古代の二流品。突き当りを右に曲がると古代の傑作が並ぶ。

【エジプト美術館】 Museo Egiziano
入口はギリシャ十字形広間の手前右側。1839年創設のエジプト美術館。

【エトルリア美術館】 Museo Etrusco
エジプト美術館の2階。エトルリア美術の外、ギリシャ、古代イタリコ族の壺のコレクションと見物は第二室のローマ近郊のチルヴェテリのエトルリアの墓から発見された前7世紀の日用品。

【ヴァティカン図書館】 Biblioteca Vaticana
15世紀ニコラウス五世の創設。16世紀のシクストゥス五世により現場所に置かれた。建物はその時(1588年)フォンターナによって設計された。現在50万冊の書籍、6万冊の古写本その他。伊達政宗の「はっは・ぱうち様(パウロ五世)」宛の親書も展示されてある。
古代の肉筆の書や稀書の豊富さでヨーロッパ第一である。

【聖美術館】 Museo Sacro
図書館をさらに進んだところ。壁画はアルドブランディーニの結婚。
カタコンベから移した遺品、古代ローマの壁画やモザイク画、コプトの織物、中世以降の金属工芸品、七宝、象牙彫り等、宗教関係品がある。

【ボルジアの間】 Appartamento Borgia
美術館、図書館の建物につながりシスティーナ礼拝堂の北側に当る。
ボルジャ家出身の法王アレキサンデル六世が住んでいたため、この名がある。画家ピントゥリッキョとその弟子が装飾(1492〜95年)。六つの部屋から成り、特に第四室 「聖者の生活の間」の壁画、天井画がすぐれている。

【システィーナ礼拝堂】 Cappella Sistina
宮殿の一番奥の方にあり、法王用の公的礼拝堂であり、法王の選挙の会場でもある。
シクストゥス四世のもと1473〜84年にかけて建設された。
◆天井画
1508年5月ユリウス二世の命で始められ1512年12月2日に完成したミケランジェロの天井画で、中央部は創世記の物語9場面を描いてある。祭壇側から始まって
1 光と闇の分離 2 天体の創造
3 空と水の分離 4 アダムの創造
5 イヴの創造 6 原罪と楽園追放  
7 ノアの煩祭(はんさい)   8 大洪水
9 ノアの泥酔
天井と壁画の間の三角形の枠の中の預言者と巫女は記念的この作の最も偉大な肖像で、その姿は天使や小精霊に取巻かれて座っている。それは下に代表される。
1 予言者ヨナ 2 リビアの巫女 3 預言者ダニエル
4 クマエの巫女 5 預言者イザヤ 6 デルフォイの巫女  
7 預言者ザカリア 8 預言者ヨエル 9 エリトリアの巫女
10 預言者エゼキエル   11 ペルシャの巫女   12 預言者エレミア
◆祭壇の壁画
「最後の晩餐」Giudizio Universale
天井画のあと1536年から6年かかってクレメンス七世の命により描いたもので、ミケランジェロが伝説的芸術家の才能を発揮し、独特な模倣しえない、力強い雄大な作で宗教的芸術的巧妙さは賛美の外ではない。
中央には、マリアと聖者たちを従えたキリストが審判を下している。
右側には、選ばれた人が天へと昇って行き、左側には罪せられた人々が地獄へ落ちていく。下方には天使の営楽隊、右には地獄の入口が見え、左には死者の復活が描かれている。
キリストの足元にいる聖バルトロメオは人間の皮を示しているが、その顔はミケランジェロの自画像であると云われている。
◆側画
装飾壁画は1481年〜83年にかけて左右夫々6面、計12面の壁画が古い教会の習慣に従って、一方にはモーセの生涯(旧約聖書)他方ではキリストの生涯(新約聖書)を再現するものである。
最初の二つの壁画はピンチュリッキオ、他はトスカーナ、ウンブリアの画家の作品。
1 割礼(ピンチュリッキオ作) 2 キリストの洗礼(ピンチュリッキオ作)
3 モーセの物語(ボティッチェリ作) 4 キリストの誘惑(ボティッチェリ作)
5 紅海の通過(ロッセッリ作) 6 使徒の転職(ヂールランダイオ作)
7 神、モーセに法の目録を与う(コシモ・ロッセッリ作)   8 山上の説教(コシモ・ロッセッリ作)
9 コーレ、ダダン、アビロンの罰(ボティッチェリ作) 10 サン・ピエントロに鍵を与えるキリスト(ペルーヂーノ作)  
11 モーゼの遺言と死(ルカ・シニョレッリ作) 12 最後の晩餐(コシモ・ロッセッリ作)

【ラファエロの間】 Stanze di Raffaello
システィーナ礼拝堂の祭壇右横の出口を出て2階への階段を上がると、ラファエロの間へ出る。ボルジャの間の2階に当たり4つの部屋から成る。 ニコラウス五世によって作られ、ユリウス二世が1508年25才であったラファエロがローマへ来ると、法王はボルジャ室のペルヂーノンマード等の壁画を削り取り、ラファエロに壁画を描かせることに決定した。彼は1520年、死ぬまで、ここで制作した。
◆[火災の間] Stanze di Raffaello
「ボルゴの火災」はレオネ十世の時描かれ、ラファエロが完成した最後のものである。
レオネ六世がヴァチカンの窓から十字の印を結び、奇跡的にレオーネ市(ローマ市)の火災を消したという。背景に未だ破壊されない、サン・ピエトロ旧寺院の玄関がある。
動機はヴィルヂリオのトロイアの大火の記載。美しい裸体のエネアがアンキセを肩にアスカニオの手を引いて逃げている。
◆[署名の間] Sala della Segnatura
1508〜11年へかけてのラファエロの壁画。
入って右側の大きい壁画は「聖秘跡の論争」1509年完成のラファエロ最初の作。上部は青空を背景にキリスト、マリア、聖者がおり、下部の人々の中には、ダンテ、サヴォナローラ、ブラマンテの顔を見分けることができる。
相対する壁画は「アテネ学派」。で哲学の勝利を表している。
プラマンテ風の建築の下、画面中央にプラトンとアリストテレスが立ち、その他ピタゴラス、ユークリッド等の顔が見られ、右端下方のグループに若きラファエロの自画像が描かれている。
入って左側の窓の壁は「ペルナソ」
ヴィオラを奏でるアポロの周囲に詩の女神や最も高名な詩人たち、ホメロス、ベルギリウス、ダンテ、ペトラルカ等がいる。
天井の四つの肖像も神学、哲学、詩、正義を現している。
◆[エリオドーロの間] Stanza di Eliodoro
「エリオドロの懲罰」を再現した壁画は1511〜14年に描かれた。 シリアの将軍エリオドロが冒涜的掠奪の目的でサロモンの寺へ進入するが、金の武器を持った天使に退けられ、地上に投げられている。生きいきした光景で左に婦人達や子供の群の動作は美しく、ジュリオ二世と随員達の肖像は気高く力強い。 窓の上のは「ボルセーナの奇跡」1263年のボルセーナの奇跡を表す。聖晩餐のとき、疑り深い僧の前にキリストの姿が現れ、聖餐布の上に血の滴りを見る驚くべき奇跡が起った。この布を保存するためゴシック建築のオルヴィエット聖堂が建てられた。 法王は祭壇の前に膝づき、護衛のどの顔にも力強い表現あり、婦人や子供の群もまた美しい。
「サンピエトロの牢獄から釈放」は1514年に描かれた。 三つの異なった光り、月光と天使から発する光彩、兵の炬松の光が交差して描かれている。これは、フランスとドイツから教会を釈放するという、政治的諷刺を含む。
その他の壁画はラファエロの弟子達の作である。
◆[コンスタンティヌス大帝の間] Sala di Constantino
以上四つの間で一番大きい部屋で、ラファエロの死後、ジュリアーノ・ロマーノの手によって描かれたもので、コンスタンティヌス大帝に十字架が現れてくる場面とローマのミルヴィオ橋でマクセンティウス皇帝と戦う場面である。

【ニコラウス五世の礼拝堂】Cappella di Nicolov
前述の間を通り、奥に入ったパラフレニエーリの間の右奥にある。
法王ニコラウス五世の小さい礼拝堂で晩熟のフラアンジェリコの壁画がある。ルネサンス的で繊細詩的境地に達している。
上部は聖ステパノの生涯、下部は聖ロレンツォの生涯である。
【ラファエロの回廊】 Loggia di Raffaello
パラフェニエーリの間から中庭に面した回廊に出るとラファエロによってデザインされ、愛弟子ジュリアーノ・ロマーノにより描かれた新旧約聖書の場面が見られる。
【地図のギャラリー】 Galleria delle Carte Geografiche
ラファエロの間に戻り、図書館の廊下の2階を出口の方へ向っている長い廊下にイタリアの地方図(1580〜83年)イニャーツィオ・ダンティ作が描かれている。続いて廊下はタピストリーが並んでいる。
出口はこの先の彫刻室をへて階段を降りて、出入り口の中庭に出た先である。

F.C.パヴィロ 訳者 末園 章 「ローマ」及びブルーガイド海外版 ローマとイタリア 並びに世界百科辞典 参考





S.PIETROの眺めは、
VILLA BORCHESEボルケーゼ公園からの  
眺めが最高と云われる。
  LUNGO TEVERE DEL TEBALDIより見たサン・ピエトロ寺院。
橋はPONTE HAZZINI 9TH NOV.1976


  VATICAN GARDENから見た、ST.PIETROのBASILICA円蓋
(※絵葉書※)
 
 

 

   
この教会に来られた全ての人々に心から歓迎の意を表します。
どうぞ、ここは神の家であることを心にとめてください。訪問者は作法よく振る舞うことが要求されます。それは、此の場所が神聖、特質的に保たれているからです。
崇敬な環境を維持するために次の様なものは入場を認められない。:男は半袖半ズボンはいけない。:婦人はミニガウンや袖のない衣服ではいけない。
適切な静寂を尊守してください。又どんな種類の写真のような設備・用意等ご遠慮ください。
バシリカの美術的・芸術的財宝のための案内人付き又団体の訪問者は・・・


 

PONTE VITTORIOを渡り
VIA DELLA CONCILIAZIONE より S.PIETRO 9TH NOV.1976
 
   PIAZZA SONNINO より BUSを利用、PIAZZA PAOLIで下車、満員バス、前より乗車、下車のとき運転手に乗車賃を渡さんとしたが、運転手と他乗客の手振り身まねで結局無料下車した。車は後部より乗車すべし。


   
 
S.PIETRO(サン・ピエトロ)寺院(中央)
右のオベリスクの後の建物は
PALAZZO DELL VATICANO ヴァチカン宮殿で
この建物に法王の書斎等がある。

S.PIETRO 正面設計はマデルノ。
上部両側の時計の間に
キリスト、洗礼者ヨハネ、
聖ペトロ他、使途の彫像がある。
   
PIAZZA S.PIETRO サン・ピエトロ広場
(1650〜67ベルニーニが完成)

中央のオベリスク(高さ25.5m)は古代ローマ時代エジプトから
運ばれたもので1586年ここに建てられた。
この広場中央のオベリスクの左右に各、高い噴水がある。
オベリスクと各噴水の間にある白い石から回廊を見ると
4本ある柱列が1本に見える。
即ちこの白い石が回廊の柱列の焦点になっている。
 9TH NOV. 1976  
 S.PIETRO 正面よりPIAZZA S.PIETRO
左柱列は回廊、その中央付近に1613年マデルノ作の噴水が見える。
高い柱は広場中央にあるオベリスク
その正面の通りがVIA DELLA CONCIUAZIONE


 

 

中央部身廊 (※絵葉書※)
中央身廊の大円蓋下右側に聖ペトロのブロンズ像がある。
中央大円蓋下は法王の祭壇でこの下が聖ペトロの墓。
そして、この墓の前に膝まづくのはカノーバ作「法王ピオ六世像」
最奥の後陣に聖ペトロの司教座がある。


9TH NOV.1976 法王の祭壇 中央身廊より。  
 
 

 

 
大円蓋 9TH NOV.1976
   円蓋は構造的に二重に重なっており、
  その間に階段がつけらている。

  左側廊 第一、第二礼拝堂の間に教会屋上と
  大円蓋に上る入口がある。

  屋上から更にドーム頂上に昇る
  537段の螺旋階段がある。

  円蓋の直径    42m
  円蓋の高さ   44.8m
  円蓋の下からの高さ 132.5m

※パンテオンの円蓋の高さは43.4m


 

 

※絵葉書※
THE"PIETA"OF MICHELANGELO
ミケランジェロのピエタの白大理石像

十字架から降ろされたキリストを聖母マリアが
膝に抱き悲しんでいる。

第一礼拝堂(右側廊)祭壇上
ミケランジェロ24才の作(1500)














 



S.PIETRO(サン・ピエトロ寺院)より
CASTEL S.ANGELO(サンタアンジェロ城)に行く途路
LONGO TEVERE VATICANOよりS.PIETRO
9TH NOV.1976
 
 

 
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