遠洋航路の機関長の
海外見聞写真帳

(目次)
上海
オ-ストラリア
ロンドン
ローマ
ヴァチカン市国
シシリー島
パナマ運河
スエズ運河
鹿島・香取 
リンク
プロフィール
シシリー島 Isola di Sicilia
         Catania (カターニャ)
 Milazzo (ミラゾ)
 Augusta (アウグスタ)
 Siracusa (シラクーサ)

                 
ま え が き  
  この近年の私の趣味の1つ。 折角あちこち行く先々写真を撮っても、只それだけでは物足りなく、つまらぬものを何でも何でも集めては貼り付け書き付け写真帳に色を添えるつもりのものが、今回たまたまSiracusa見学に同伴した武山信夫次席通信士の執拗な勧誘に遭い、止む無く「かもめ」に掲せるつもりになったものの、泥棒を捕まえて縄を編む、の譬え。 いや、たとえ最初からそのつもりで書いても同じことかも知れぬが、さて出来上がったものはお粗末なしろもの。 書き直したい衝動に駆られたが、何しろ面倒くさくてそれもならず、見づらい、読みにくいところが多々あれど、何とか御勘弁、御判読願うことにしましょう。
  そして、Augusta入港の機会でもあれば、たとえ上陸可能な時間が、折悪しく日曜日の僅か半日であっても、多少なりとも有効なSiracusaの半日が、これによって味わうことができれば幸いに思います。

 参考図書・参考資料
 ・講談社 「現代世界百科事典」
 ・ブルーガイド海外版 「ローマとイタリア」
 ・Ente Provinciale per il Turismo 「Pianta della Citta di Siracusa」
 ・Pianta di Siracusa
 ・航海用 「Chart」


シシリー島 Isola di Sicilia  
(概要)
イタリア共和国の自治州(1948年)で首都はパレルモ Palermo。
地中海で最大の島。面積約2.6万u。(四国は約1.8万u)。人口約700万人(ホテルJollyの支配人の話)。実際は5〜600万人?
全島山がちで、とくにエトナ火山(3260〜3390m)は現在も噴煙中。
海岸線の曲線は美しく、太陽が強烈に照りつける。
オレンジ、ミカン、レモンを産出。熱帯植物にも恵まれている。
古代ギリシャの遺跡、中世のノルマンとアラブ、ビザンチンの影響を受けた独特な教会等、全島にまたがって散在している。

(歴史)
紀元前8世紀頃からギリシャ人が渡来し、シラクーサ Siracusa、カタニア Catania、メッシーナ Messina、セリヌンテ Selinunte、アグリジェント Agrigento等の町々を建設した。
前264年、第1回ポエニ戦争でローマ人から干渉を受け、前212年に征服された。
5世紀にはヴァンダル族が侵入。
6世紀以降、東ローマ帝国が統治。9世紀にはアラブ人が島を占領。 11世紀にはノルマン王朝がパレルモに都したが13世紀には滅亡した。
その後、混乱と退廃に向かったが、ついでアンジュ家 アラゴン家の手を経てスペインの領有となる。 さらに19世紀にはナポリ王のブルボン家の支配になり、やっと1860年ガリバルディーが勝利を収めてイタリア王国に編入された。
第二次世界大戦後の1948年からイタリアの自治州になった。

(芸術)
第一期
古代ギリシャの文明開化の後、古代ローマによる芸術隆盛期。
第二期
ノルマン王朝時代で、ラテンとアラブとビザンチンの混合芸術期。
第三期
ルネサンス時代、大画家アントネッロ・ダ・メッシーナ出現。
第四期
バロック時代、新しい宗教芸術が開花。カターニアの都市建築はこの時代の都市計画に基づいて造られた。

 






カターニャ Catania
シシリー島第二の都会で、人口約58万人。 前729年ギリシャ人が建設。
17世紀に地震で破壊され古代ギリシャ的都市から全く面目を一新したバロック時代の都市計画による都市。
ギリシャ劇場の廃墟、17世紀のドゥオーモ等がある。
ベルリーニ公園 Villa Bellini はこの町で生まれた作曲家ベルリーニを記念して作られた。
エトナ火山 Etna の登山口。 標高3263m
Jolly Hotel は Villa Bellini 前の広場 Piazza Roma から東方、海岸に向けて約500m先の右側 Via Guglielm 通りに面している。

 


ミラゾ Milazzo
シシリー島北東部の小都市。 漁港。
Cataniaより高速道路で風光明媚な海岸線に添って142Km。
途中、標高3263mのエトナ山麓を走破、エトナ火山は現在も活動中で噴煙を上げている。
海岸のレストランで昼食の後、大光丸に乗船する。
ナポリタンスパゲティーはトマトソース。トマトソースが嫌いなためミートソースを注文した。
又、欧州、地中海沿岸ではい貝(通称からす貝)Mussel(モツスル)が多く、欧州一般どこのレストランでも、又、街角の街頭の店でもお目にかかれる。これがまた非常に美味で(水炊き、バター炒め)、この方面で外食するときの欠かせないものの一つである。 但し、何やらに非常によく似ておる。 代理店の案内人とも、これを広げて笑ったものである。
       
  ■Rome Fiumicino 空港 国内線ロビーより空港を写す。


       
■Fiumicino 空港 国内線ロビーで時間待ちをする人々。
約2時間遅れて 5th Nov. 1976 15:30 Fiumicino 発      


       
■Catania 着陸 16:35


   
■6th Nov. 1976


Viale XX Settembre




   
■ローマ広場 Piazza Roma (Viale Regina Margherita) 
   
■Vila Bellini ベルリーニ公園 公園管理人たちと共に。

   
■Vila Bellini の内の美しい花壇の一部。
   
■Via Caronda が Via Etnea に合流し、
目抜き商店街となっている。 
   
■7th Nov. 1976 10:30
Hotel Jolly 発(大型バス)。
途中 Porto Nuodo peschereccio の税関に立寄り
大光丸宛ての荷物を受け取る。



Pazza Trento より Hotel "Jolly”・・・・・・Viale XX Setembre
   
■Viale XX Setembre が東海岸にのび、
ここPiazza Giovanni Verga より Corso Italia になる。
   
■車内より Piazza Giovanni Verga  
   
■Via Ventimigtia
   
■Milazzo に向け出発したのは昼前約11:30頃



Catania より 114号線を北上
   
■次いで A18号高速道路に入る。
海岸線はコバルト色に美しく絶景であったが
とうとうカメラに写しきれず残念。
   
■途中、Etna火山を走破
       
■料金所はどこも同じ
       
■Milazzo 着は14時過ぎ。
所要時間は約2時間半、距離にして約125〜130km。

海岸の Restorante Diana にて昼食。
ミートソースのスパゲティーとモツスル貝を食べる。
       
■浜辺より接岸中の大光丸を見る。
       
■揚荷中の大光丸 
       
■揚荷中の大光丸 
   
   ■'76 15:30 6th(S51.11) 大光丸に乗船する。 通船で大光丸に向う途中、Milazzoを一望。


 
 




アウグスタ Augusta
4月2日 Augustaに入港、直行接岸。 接岸16:20、入港直後、燃料・雑油の積込み其の他業務多忙。
補油は揚荷桟橋に設備あるも積込能力は悪く、1872M.T.のFuel Oil を積込むのに17:40〜0:20迄 6時間40分を要した。(1時間当り281M.T.)
  (通船) 陸発 8:00 , 10:00 , 13:00 , 17:00 , 22:00 , 24:00
            通船発着所より大光丸桟橋までの所要時間30分
荷役バースは Priolo に属するが、ここ Port Augusta は全長3.25浬 約6,000m強の防波堤に守られ、構内は非常に静かである。

かってインディアンと毛皮が取引されたことで知られる、まったく同名の Augusta という町が、アメリカのジョージア州にあるが、アメリカ式或いは日本式に"オーガスタ”と発音すると、ここシシリー島では全く通用しないからご用心。

     (大光丸乗組員用パスポート)
Augusta はメインランドのシシリー島に接し、橋で繋がれた南北に伸びる細長い島で、この小高い丘の上に町が作られている。
上陸当日は日曜日とて、一部のレストランを除く他のすべての商店は閉鎖され、今度何時くるかわからない私にとって、何ともはや、入港日の運の悪さを嘆かずにはおられぬ一日であった。
然し、この町の北端にある公園と、この公園に添った Via Colombo コロンボ通り、そして公園前島の中央部を南に走るメインストリートは、午前11時頃からの人出は、丁度日本のお祭りといった感じ。 公園内にある3〜4つの露天商の外一般商店は目抜き通りといへども皆閉店であるが、仲睦まじき夫婦、親子連れ、老若男女で満ち溢れんばかり。
ここ Augusta でも過去訪れた町、 Savona、Fiumicino、Roma で感じたと全く同様、イタリア人の人の良さ、親切さ、のどかさ、我々も今すぐにも友達になれそうである。 そして友達になってもこの人たちを裏切らないよう。 日本人も外国に来て見習うべき事が多くあるように思われる。


Ristrante-Pizzeria で
右の伝票は次席通信士の武山某が一人で平らげたものである。
最初、車えび5匹とモツスル(カラス貝)9ヶを注文、あと又 車えび4匹、あさり貝10ヶを注文した。大食いとオシャベリで定評のあるのがイタリヤ人。
この追加注文ではさすがレストランのウェイターも一瞬驚きの顔色を見せたが、当の武山君知ってや知らずや『折角の上陸、食べられる時にうまいものをできるだけ食べ溜めしておくんだ』とペチャリ、クチャリ、ゴクン、ゴクンと、食事時間も約1時間。 本場イタリヤ人も顔負けしそう。








※ 09:40頃、公園前の Via Colonbo で葬儀の行列に出会った。
先頭に花輪と先導、次に2人の老人と2人の中年の4人に担がれた棺、その後に涙で目を腫らした家族そして縁者知人達約30〜40名の小行列、黙々とそして静々とゆく行列、道行く人達は立止り、だまってこれを見送る。 後に続く通りがかりの関係のない車も決してこの行列を追越さず。 このあと車は長蛇の列。
さすが厳粛なこの雰囲気にカメラを向けることはあたはず。

(買い物)
先般、Roma、Fiumicino で若干の買物をしたが、その時の換金率は1:0.34、この度は 1:0.32 とイタリアの貨幣価値は若干低下している。 然し Roma、Fiumicino に比べ Augusta、Ciracusa は少々物価が高いように思われる。 然し魚介類の買物ができなかったことは返す返すも残念であった。 然し日本から比べると相当安いようだ。
   at Augusta     牛乳 1000cc入り @ 400リラ(\128-) ×20ヶ 8000リラ \2560-
   at Siracusa     絵葉書(シラクサ名所) @ 50リラ(\16-) ×10枚 500リラ \160-
                      地図(Sirucusa) 1000リラ \320-
                      地図(Italy) 1900リラ \608-
                      買物袋(民芸品) 2500リラ \800-
                      アイスクリーム 200リラ \64-
   Ship Chandler (船食) を経由して購入したもの (Rotterdam船食)
      Remy Martin Louis XIII \ 25,425
      Camus Napoleon Bookstyle \ 9,063
      Mackintosh's Chocolates Toffees 1LB @ 548.05 × \ 2,192
      Salted Peanuts 200gr @ \192.10 ×5 \ 961
      Salted Cashews 150gr @ \412.45 ×5 \ 2,062
      Heineken Beer 25TINS \ 1,865
      Japanese Sake 720ml @ \706.25 ×30 \ 21,188
      Coca Cola 24TINS @ \1413 ×2 \ 2,826
      Cigarettes Seven Stars 200p.c.s @ \612 ×20 \ 12,240
   
   
   
■Via C. Colombo にて
駐車違反の車に切符を貼るオマワリさん。
でも、ものを尋ねると日本のオマワリさんより遥かに物静かで
その親切さが身に沁みるほどである。
日本の警察官も外地に学びに行かねばいけません。


   
■Ristorante Pizzeria
街頭又は店内中央にその日の料理、果物、野菜、生物等を綺麗にテーブルに並べている。
   
■Via C Colombo の公園は
日曜日になると丁度日本のお祭り同様の人出となる。
これは日没前、人出もおさまった頃合の公園風景。


   
■Siracusa Camping (※絵葉書※)

   




Siracusa シラクーサ
紀元前734年 コリント人(古代ギリシヤ人)により建設、前5〜4世紀には西方ギリシヤ世界の主導権を握った。 第二次ポエニ戦争(前218〜前201)でローマ軍により陥落。 後、東ローマ、サラセン、ノルマン等に支配された。
人口10余万人。 Siracusa は大別して Old City のあったMainLand(本土)と、Modern City となっている島の部分 Ortigia に分ける。 古代ギリシヤの遺跡の多くは MainLand に、又、古代ギリシヤ以降の古代ローマの遺跡は MainLand 及び Ortiga 双方に散在する。
次の
Siracusa 及び Routes For Touring The City は観光用シラクーサ地図より転載した。

         
Siracusa シラクーサ
シラクサは古代における重要な町であった。 特に地中海の宿命は、最終的にはローマ人が勝利を得たが、その以前アテネ人、カルタゴ人、そしてローマ人との間で争われた時である。 シラクーサは Ortiga(島の部分)・今の近代都市部分と MainLand 本土の部分から成る。
多くの有名な遺跡や廃墟は、シラクーサを全く類のない独特な町にしている。
町から北又南へ延びる岩礁や浜を持つ魅力ある海浜への避暑行楽、特に、のどかな風土を歩き廻り、(海水浴は殆んど年間を通じて)、その行楽の組合せは良い休日を作る。 シラクーサはシーシリーの提供する最良の行楽地の一つである。
更に又、シラクーサには多くの文化、競技、そして民族行事の場所を設けており、これらはイタリーや海外からの訪問者に対しての他の魅力となっている。

         
Routes For Touring The City 観光ルート
シラクーサの町を一瞥するだけでさえ二日を要する。
最初の日は Ortiga の遺跡に当てることを提案する。
Piazza Archimede ・・・アルキメデスの広場・・・から出発:
Palazzo Lanza(Lanza宮殿)、Palazzo Bosco(Bosco宮殿)、Palazzo Vermexio(Vermexio宮殿)、Cattedrale(大聖堂)、ドリヤ式建築のTempio di Minerva(ミネルヴァ神殿)、考古学博物館(Archeologico Museo)、Museo di Palazzo Bellomo(Bellomo宮殿博物館)、Fonte Aretusa(Aretusaの噴水)、Aquario Tropicale(熱帯魚水族館)、Castello Maniace(Maniace城)。
第二日目は
Latomie del Cappuccini(聖フランチェスコ派の托鉢僧の石切場・・・地下の迷路)を訪れることから始めよう。 それから Catacombe di S.Marziano(S.Martiano教会の地下納骨礼拝堂)、Anfiteatro Romano(古代ローマの円形劇場)、Piscina Romana(ローマ水泳プール)、Teatro Greco(古代ギリシヤ劇場)、Orecchio di Dionisio(Dionisioの耳)、Grotta di Cordari(聖フランチェスコ派修道僧の洞窟)、Ara di Ierone II(ヒエロン二世の異教徒祭壇)、Tomba di Archimede(アルキメデスの墓)、Mura di Dionisio(Dionisioの壁)、Castello Eurialo(Eurialo城)。
更に、
Foro Italico(フォロ・イタリコ)から出る遊覧船で Fiume Anapo(アナポ川)を漫遊し、Fiume Ciane(Ciane川)の水源を尋ねることを推奨する。

※1.単語訳
   伊    英    日
piazza piaza、square 広場、市街の一角、市場
palazzo palace 宮殿、大邸宅
lanza lance、spear
bosco grove、copse
cattedrale cathedral 大寺院、大聖堂
tempio temple 神殿、寺院
archeologico   archaeological   考古学の
museo museum 博物館、美術館
fonte fountain 噴水、泉
castello castle 城、城郭
acquario aquarium 水族館、養魚池(器)
tropicale toropical 熱帯の
latomie quarry 石切場、石牢
minerva minerva ローマ神 ※13参照
cappuccini capuchin フランチェスコ派托鉢僧の教会
catacombe catacomb 地下墓室
cripta crypt 地下納骨、礼拝堂
anfiteatro amphitheatre 円形劇場、闘技場
piscina swimming pool 古代ローマの浴泉、プール
teatro theatre 劇場
greco greek ギリシャの、ギリシヤ人の
orecchi ear 耳、音響
dionisio dionysus ギリシャ神 ※4参照
grotta gratto 洞窟、岩屋
cordari フランチェスコ派の修道僧
ara heathen alter 異教徒の祭壇
tomba tomb 墓地、埋葬、墓石(碑)
archimede archimedes アルキメデス ※2参照
mura wall 城壁、外郭
fiume river 河、川
foro 1.古代ローマの、中央にあった大広場
2.公事の集合用広場、市場、法廷

※道路と広場については次の言葉が使われる。
via 大路、街道陣取った
viale 並木路、大通り
corso 目抜通り、大通り
ronco 袋小路
vicolo 狭い路、小路
foro 前述(↑)の通り
piazza   広場
largo 広い場所



Siracusa 見聞記
1.交通機関 (Augustaより)
【タクシー】
通船待合所のすぐ側にタクシー乗り場がある。 Siracusaまで約32〜33km位。 Teatro Greco とその一角の遺跡及び Ortigia の Tempio di Minerva 等観光、往復約3時間を見込んで40,000リラ(12,800円)程度ならば行ってくれる。 普通 Augusta から Ortigia まで片道約18,000リラ〜20,000リラ(5,760円〜6,400円)
【鉄道】
Augusta の島の本土側に渡り、更に600〜700m先に鉄道の駅がある。 鉄道は Priolo を過ぎると海岸線に沿って走り、景色もよいと思われるが、他の交通機関に比べれば少々便利がよくない。
【バス】
世界のどの国に行っても、安くて便利がよいのがバス。
Siracusa 行きのバスは、通船待合所よりすぐ坂を昇り、左折して この島の北東部に位置するParco 公園前のnVia C. Colombo コロンボ通りにバス停がある。
Augusta 〜 Sirucusa 間、往復券600リラ(192円)、所要時間は Siracusa の Viale Terecati とViale Augusto との信号のある交差点手前下車で約35分。
運転手は大のオシャベリ好きで、走行中 後ろの客に振り向き、話しながらの運転、道路は狭いし、急カーブは多く、最前席におかげで、しょっちゅうひやり。 運転手も車掌も極めて親切で、下車前 Teatro Greco への道順、帰るときのバス乗車場所(道を隔てた反対側)等、手振りよろしく教えてくれた。
又、帰りのバスも同じ運転手、車掌であったが、往復券を提示すると鋏を入れてくれた。
日曜日は、バスの回数が少ない。 町のお巡りさんに尋ねると発車時刻等、くわしく親切に教えてくれる。
Catania から Siracusa に行くにもバスを利用すると便利である。
Siracusa はシシリー島きっての観光地であり、このバスを利用する観光客は非常に多い。
但し、Siracusa から Catania 行きのバスは Augusta の島内には入らないから御用心。

■Augusta〜Siracusa間 バス往復切符 600リラ(192円)

2.Mainland にある遺跡
数多くの遺跡をもつ Siracusa も、その多くは日曜日のために閉門されており、ほんの一部の遺跡しか見ることができなかったのは至極残念であった。
何といっても Sicilia は紀元前800年頃より、ギリシヤの植民地として発展、特に Siracusa はギリシヤの Athenae アテネ と町の繁栄を競ったといわれる。 そして、ここ Siracusa を拠点に西方世界に覇を唱えたローマ支配以前の古代ギリシヤの偉大なる遺跡に、多少なりとも興味を覚えるのも当然であろう。
但し、西洋史並びに考古学的楚地、知識に全くといってよいほどの無知と、加えるに資料の不足のため、明快な解説ができないのが残念。
只単に、見ての想像のみを記すこととし、誤りあればその訂正を後日の楽しみとすることにした。
さて、Viale Teracati と Viale Augusto との信号のある交差点手前でバスを下り、すぐ先の交差点を右折して Viale Augusta を行くこと約300mで、遺跡入口の Largo Anfiteatro 円形劇場広場につく。
この広場右側には(ロ)Entre Provinciale per il Turismo(E.P.T.) 「観光旅行のための協会」の案内事務所がある。 但し、日曜日は休み。 又、レストラン、民芸品、おみやげ品店等数件の出店、アイスクリーム、飲み物等の移動販売車等が店を張っている。

イ. Bus stop バス停
ロ. Entre Provinciale per il Turismo(E.P.T.) 観光案内所
1. Latomia di s. Venera サンタ・ベネラの石切り場
2. Tomba di Archimede アルキメデスの墓
3. Anfiteatro Romano 古代ローマ円形劇場
4. Ara di Ierone II ヒエロン二世の異教徒祭壇
5. Grotta del Cordari フランチェスコ派修道僧の洞窟
6. Latomie del Paradiso 石切場の楽園
7. Orecchio di Dionisio ディオニシオの耳
8. Tertro Greco 古代ギリシヤ劇場
9. S. Giovanni サン・ジオバンニ寺院
Cripta di s.Marziano サン・マルジアノ教会の地下礼拝堂
Basilica s.Marziano サン・マルジアノ教会のバシリカ
Catacombe s.Marziano サン・マルジアノ教会のカタコンベ
10. Santuario Madonnina della Lacrime 泣き濡れる聖母マリヤの殿堂
崖、岩屋
カタコンベ(地下納骨堂)
レモン、オレンジ畑
細道


1.Latomia di s. Venera セント・ヴェネラ教会の石切り場
2.
Tomba di Archimede アルキメデスの墓
案内事務所脇を Via Latomia に添って入ると右方一帯が Latomia di s.Venera。この一帯奥に Tomba di Archimede があるわけだが、日曜日で門が閉鎖され中に入れず。
※2 Archimede(伊)、Archimedes(ギ)
(紀元前287年頃〜212年) ギリシヤの数学者、物理学者、技術家。 数学では放物線、円、螺旋、球等の求積問題。物理学では振子の原理の解明や重心、比重、浮力の研究、螺旋揚水機、惑星儀、諸兵器の考案等。
シシリー島 シラクーサの生れ。 アレクサンドリアで学ぶ。帰国後、王 Hieron(ヒエロン)の厚遇を得て学問の研究、機械装置の発明をする。
ローマ軍によるシラクーサ陥落の際、数学の研究中に殺された。
(逸話)巨船の進水に関連して「我に一つの足場を与えよ、然らば地球を動かさん」と豪語したという。 また、王冠の比重をはかり、純金でないことを見破るなど逸話が多い。

3.
Anfiteatro Romano 古代ローマ円形劇場
Vale Paladiso の入り口右側の小道が Anfiteatro Romano に通ずるも、同じく休みのため入れず。
前項縮尺地図により判断して、この円形劇場の長径約105m 短径約84m。 ローマのColosseo(コロッセオ)の長径188m 短径150mとは、勿論比べようもないが、是非見たいものの一つであった。

4.
Ara di Ierone II ヒエロン二世の異教徒祭壇
Viale Paladiso を進むとすぐに左手に広い原が展開し、そこに Ara di Ierone II を容易に見ることができる。 同じく日曜のため中に入ることはできなかったが、この祭壇は Viale Paladiso のすぐわきから縦に延びている。
幅約28m 全長約203m 数段に積重ねられた多くの大きい石、すぐそばの Latomia から採石加工して運ばれでもしたものだろうか。 そして、キリスト教に対して後世 ara 即ち異教徒祭壇と名付けられたのではないだろうか?
Ierone はイタリア語、英語では Hieron

5.
Grotta del Cordari フランチェスコ派修道僧の洞窟

6.
Latomie del Paradiso 石切場の楽園
Ara di Ieron と道路 Via Paladiso を隔てた反対側に入口があり、Latomia di s. Venera と Orecchio di Dionisio に挟まれた地域。 ときしもレモンの木々は多くの新鮮な黄色の実をつけ、小鳥たちの囀り、そして外界から隔てられた園内の特殊な環境と相俟って、原始的ななかにもえもいえぬ美しい光景の楽園を繰広げていたろう。 ここも同じく閉鎖され入れず。極めて残念。
後述。『Mainland にある其の他の遺跡・名所』の中に Latomie del Cappuccini がある。 Grotta del Cordari を含むここ一帯の石切場・洞窟等は、曽てフランチェスコ派修道士達により修練道場として使われていたのではなかろうか。
※3 フランチェスコ San Francesco d' Assisi (1182年頃〜1226年)
イタリア中部 Assisi アッシジ (Perugia ペルジア 東方約20km)の生まれ。放縦な軍隊生活から回心し、清貧の生活に入る。 フランシスコ会(カトリック教会の修道会の一つ。キリストに習って清貧に徹し、人々の救霊と奉仕活動に従う。)の創始者。 聖人。 絶対的清貧に生き托鉢による宣教で修道会を維持、その魅力ある人柄の故に多くの人々に親しまれ尊崇を集めた。 追従者のうち、クララは女子修道院を創立。 晩年アルベルナ山に退き、花鳥と遊ぶ。 作品は宗教詩『太陽の賛歌』など。

↑↑
■Tomba di Archimede (※絵葉書※)
↓↓
 
■Anfiteatro Romano (※絵葉書※)
 

■Ara di Ierone II Viale Paradiso 東寄りより (※絵葉書※)
 
■Ara di Ierone II
Viale Paradiso 西方より写す。
■Grotta di Cordari
               
             (※絵葉書※)
   
 
■Orecchio di Dionisio
入るとすぐ右に曲り 更に左に曲がるが
ここより先は真暗く、又水溜りもあり入れなかった。





   
■多くのレモンの木。
レモンの実はこの写真の数倍も美しい。

   
7.Orecchio di Dionisio ディオニシオの耳
入口は Largo Teatro Greco。 この大きな人工洞窟の正面よりの眺め、奥に入りこんだ洞窟、そして洞内で発する音の反響がすばらしいために、この名がつけられたのだろうか。
洞窟は入るとすぐ右方へ曲がり、7〜8m進むと左方へ曲がっているが、地面は水溜りが多く、その上 この先は真の闇でこれ以上進むことができず。 遺跡の探訪には懐中電灯を携行すべきであろう。
洞内では人の話し声が反響してすばらしいコダマとなる。 子供達はさかんに大声、奇声を発してはしゃいでいた。 当方も負けずに"ホーホケキョ”と口笛で鶯の鳴き真似。
Orecchio di Dionisio の右寄りに小洞窟がある。 大きい垂れ下がった岩石の下に流れもあり、東洋的、仙境的雰囲気を醸しだしている。
Orecchio di Dionisio のあるこの細長い小園内にはレモンの木が多く、丁度頃合か沢山の実が美しく黄色に色付いていた。始めて見た珍しく、そして美しいレモンの木をカメラに撮ってみたところ、これを見た青い目の若い二人連れも、矢張りレモンの新鮮な黄金色の実は美しく見えたのか、これをカメラに納めた。
※“Dionisio”はギリシヤ劇場、又洞窟の音響効果等考えると、ギリシヤ神話の演劇の神 Dionisio をいうのではなかろうか?
※4 Dionisio(伊) Dionysus(ギ)
ギリシヤ神話で酒と演劇を司る神、バッカスともいう。ゼウスとテーベの王女セレメ子。
※5 Dionisio I (伊) Dionysus(ギ)
(前430年頃〜367年) シラクーサの僭主。ギリシヤの代表的僭主の一人として有名。
シシリーのギリシヤ植民地へのカルタゴの侵入という危機のさなかに頭角を表し、僭主の地位についた。以後、武将、政治家として手腕を縦横に振って、カルタゴの東進阻止に努め、又、海外とくにアドレア海にも力を伸ばし、その名声を高めた。
※6 Dionisio II (伊) Dionysus(ギ)
  (前397年頃〜344年以降) シラクーサの僭主。 Dionisio I の子。 学芸に関心を示し、補佐役の親族ディオンを介し、その師プラトンをシラクーサに招き親しく教を受けた。
然し、政治家としては無力で357年ディオンに追われ、後復位したが前344年コリントから来たティモレオンによって追放された。 以後コリントで余生を送った。
※7 僭主
  古代ギリシヤのPolis ポリス(ギリシヤの小都市国家で前8世紀半頃より、ギリシヤ本土、地中海、黒海沿岸一帯に広く散在し、前5世紀頃 完成期で、前4世紀以降政治的独立を失った。)で非合法的に主権を得た一人支配者。
前5世紀前半を「前期僭主」という。貴族政から民主政への過渡期の多数のポリスで、野心的貴族が下層平民の支持を背景に武力クーデターを起し、貴族政を打倒して生まれた。 然し、その支配は圧政と感じられ、多くは2代目までで倒された。
前5世紀後半から前3世紀頃までを「後期僭主」という。ポリスの衰退期に、しばしば傭兵や外国の強大な勢力によりポリスの独裁権を握り、利己的統治を行った。従って、市民の利益はあまり考慮せず。シラクーサの Dionisio I 他、極く少数の僭主以外は徹力の支配者にすぎなかった。

8.
Tertro Greco 古代ギリシヤ劇場 (前5世紀)
Largo Teatro Greco にある管理事務所の右わきの小道を入ると古代ギリシヤ劇場の手前側面に出る。
直径約89m 最前部観覧席径約34m、この半円形の劇場全体が、一つの巨大な岩石としか考えられず、この岩石を削岩して階段式観覧席、通路、演技場を設けたものであろう。静かなこの遺跡の中段に座って瞑(迷)想に耽れば、或は遠い古の古代ギリシヤの足音ならぬ、遥か故国に待ちわびる彼女の面影が浮かんでくるかも。
劇場観覧席最上段中央部からは Port Grande(大きい港の意)が美しく展望できる。

さて、この一群の史蹟をあとにするに際し、Largo Teatro Greco の一隅にあるおみやげ品店で Siracusa の地図と絵葉書を10枚ほど買った。 財布からお金を出すとき、この店のおかみさん財布を覗きこみ、US10ドルと10,000リラを交換してくれとせがんだ。 因みに、この時の相場(船のAdvanceのレート)は10,000リラ=3,200円。 US10ドル=2,830円。
また、 Largo Anfiteatro のおみやげ店では、布製の色鮮かな古代ギリシヤの風俗を刺繍した買物袋を買い、移動販売車のアイスクリームをむしゃぶりつつ一服、時も集まってきた2〜3人の子供達を中に入れてカメラをパチリ。
これからどこへ行こうかと地図を出し、武山次席と相談しながら、Viale Augustro 南側の空地を交差点の一角の遊園地に向う途中、34〜5才の腹ポテのみすぼらしい女が寄ってきて手を出す。我輩の髭はさほど金持ちに見えるのか、はたまた慈悲深きイエス・キリストのい面影にでも見えるのだろうか。
交差点で再び一服の後、S.Giovanni に向うことにした。


■Teatro Greco



  この洞窟内には水が湧いている。








■Teatro Greco (※絵葉書※)


■Teatro Greco
 
   
■Teatro Greco の競技場地下構造


   
■上から見た Teatro Greco。 Port Grande が見渡せる。


   
■Largo Anfiteatro で子供達を集め一服


   
■Viale Terecati 信号のある町角(遊園地前)にて
   この頃は相当疲れていたような顔をしている。


   
■Via S. Sebastiano 警察署北隣に建設中のビル
   柱の細いのが目につく。


   
■S. Marziano 前、袋小路にて。
   誰とでもすぐ仲良しになる。
   馬が半切れになり残念。


 
 
9.S. Giovanni サン・ギオバンニ寺院
    
Cripta di s.Marziano サン・マルジアノ教会の地下礼拝堂
     
Basilica s.Marziano サン・マルジアノ教会のバシリカ
     
Catacombe s.Marziano サン・マルジアノ教会のカタコンベ
遊園地の交差点より Viale Teocrito を約240m、比較的細い道 Via S. Giovann を右折すると、すぐ先正面に廃墟らしい建物 S. Margiano の Basilica の跡が見える。 Viale Teocrito から約112m、右側に入る奥行約20m、幅約10mの袋小路があり、その奥まった左側のみすぼらしい木戸が入口となっている。

S. Giovanni は、S. Mariziano の廃墟に隣接して、後世建てられ S. Marziano の Basilica 跡、Catacombe、Cripta 等を管理している教会であろう。
或程度の観光客を集めると、木戸に鍵をかけて内部案内をする。
Basilica の廃墟は入場券を買わずとも、外部から眺められるし、内部の状態も建物の隙間から充分に見られる。
このバシリカは、キリスト教初期のものではあるが、考古学的には左程の価値はないのだろう。 案内僧も特別の説明はしなかった。
※8 Basilica バシリカ
古代ローマ時代、裁判の法廷として、又、商取引所として用いられた矩形の平面をもった大きな公共建物で。キリスト教公認後は、教会にも此の建築様式が使われるようになった。聖堂は列柱で3廊又は5廊に区分し中央の廊を高くして、その高窓から採光する形式。このため細長い矩形の平面の大きい教会堂もバシリカと呼ばれている。
まず、Catacombe に案内される。この地下墓室は電灯線が導かれており、案内の時のみ点灯される。内部はひんやりとして気持がよい。
このカタコンベは、小丘を利用して横穴を掘ったもので、地下に掘り下げたものではない。稍広い本道があり、これからまさしく文字どおり縦、横、斜と枝道が分れ、またこの枝道から更に枝道を作り、そして所々採光のための天窓をあけてある。 まるで迷路に入りこんだようで、とても単独では不安で歩けるものではない。
この地下通路の両壁には無数の大小さまざまの凹みが掘られて墓室を作っている。極めて小さい凹みは赤ん坊用とか。天井、側壁には壁画、その他装飾はない。
案内僧の説明はイタリア語?とイタリア訛の入った英語?の二種のようであったが、話す方も話す方なら聞く方も聞く方、まるでチンプン・カンプン。礼を失しないよう、やや判ったような素振りして頷くのもやりづらい仕草ではある
歴史は約1700年前とか。さすれば紀元277年頃のものとなる。
※9 Catacombe カタコンベ
初期キリスト教の地下墓地。原語はギリシヤ語でKatakymbas(凹地に)の意、ローマの S.Sebastiano サン・セバスチアーノ教会の聖堂地下墓地をいい、のち、これが一般化したもの。
古くは、一世紀頃から発生。ローマ皇帝らの迫害のため、ここで礼拝や集会が行われた。 また、ローマ人は火葬であったのに対し、キリスト教徒は土葬であったため墓所を必要とし、初期に掘られた地下をどんどん拡張して現在あるような形となった。カタコンベの穴の長さを全部合計すると延べ数百キロにも達するといわれる。キリスト教徒が迫害のなかで信仰を守り、或は尊い殉教者を葬った所という聖地的意味で、現在でもキリスト教徒の巡礼地となっている。
ローマの S.Collisto サン・カリスト教会のものはローマ最大の規模で、地下5層、穴の長さは延べ20数キロ 葬られた死者は約10万人という。イタリヤ、スペインなど広範囲に散在分布する。ローマの Via Appia Antica アッピア街道沿いのものが有名。


■S. Marziano 入場券





Catacombe を出ると中庭を通り、その中央奥にある地下室に入る。 階段を下り、右に曲ったすぐと続きが Cripta 地下礼拝堂となっており、納骨堂をも兼ね礼拝堂周囲には多くの墓地が掘られ、また地下道も奥へと掘り進んでいる。
この Cripta は天窓をとり採光してある。地下道には電灯線を入れていない。
中央礼拝堂に向って右側の柱のもと床と思われるところに、ほんの僅かばかりの床モザイク Mosaic の名残がある。 勿論、この申し訳程度のモザイクは、只存在していたことを示すのみで、考古学的にも、また技術的、芸術的価値は零と言ってよかろう。
礼拝堂の正面、天井、礼拝堂内の各柱、壁には何れも壁画が描かれているが、これらはわずかに不鮮明な色彩を残すのみ、人物画が多いが、色も褪せ、輪郭もぼやけ、前者同様美的存在ではない。案内僧も、これら床モザイク、壁画については何らふれなかったようである。
また、ここで S.Marziano の歴史を推して考えるに、Cripta は最初見学した Catacombe よりは当然古いものであり、キリスト教初期一世紀後半頃のものと考えてよかろう。 S.Marziano 教会の Cripta の地下に或程度掘り進めた後、この教会のそばの小丘を利用して横穴を掘り進め、年月の経過と共に今ある姿になったものであろう。
※10 Mosaic モザイク
工芸品、建築物、またはこれに付属する地面等の表面を各種の色の天然石、ガラス片、陶片等を敷きつめて覆い、文様、人物、風景等を表す技法。
歴史としては、既に原始時代に行われていたと想像される。大規模な作品は、前4000年紀後半、メソポタミヤ地方(現在のイラク)に現われ、続いて歴史時代に引き継がれた。エジプト、古代ギリシヤ、そしてマケドニア(ユーゴスラビア南部)へ。そしてギリシヤ的伝統はローマへと引き継がれた。
この伝統は、キリスト教、ビザンチン芸術に引き継がれ、会堂内陣部、円蓋、壁等に大規模なキリスト教図像が展開された。
現在の大規模な建築の壁面装飾は、新材質を駆使したモザイクが活発。


   
 ■Basilica di S.Marziano  



■Cripta di S. Marziano 壁画がうすく見える。 (※絵葉書※)

 
 
 S. Marziano の遺跡をでたのが16時過ぎ。まだ陽も高く、通例によって駆け足的にでも Ortigia の史蹟の一部、外観だけでもと思ったが、前夜から胃の調子悪く、為に今朝は軽く朝食をしたのみ。 加えるに、靴底のひび割れが足裏にくいこみ、空腹と一緒で疲労困憊していたため、武山次席のまだ不足げな様子にも構わず、敢えて帰路につくことにした。
依て、今回見学し得なかった他の多くの遺跡、名所等については、その名称、場所等、次に記すことにする。


3.Mainland にあるその他の遺跡・名所
10.Santuario Madonnina della Lacrime
     泣き濡れる聖母マリヤの殿堂

S. Marziano 教会から約460m、入口は Piazza Vittoria ヴィットリア広場前。但し、1977年4月現在準備整頓中。


11.Basilica S. Lucia e Catacombe
     サンタ・ルチア教会バシリカとカタコンベ

Madonnina delle Lacrim から約500m。 Piazza S. Lucia。

12.
Latomie del Cappuccin
     聖フランチェスコ派托鉢修道士の教会の石切場

Paza S. Lucia から約800m
Largo della Latomie から Via Puglia に添った西方一帯の広大な地域と、東方に当たる海岸線約300m。環境は Latomia di S. Venera、Latomia del Paradiso に似通ったものと思われる。

13.
Ginnasio Romano 古代ローマ体育場
Stazione Centrale セントラル・ステーションのすぐ南側。線路添いだが、入口は Via Elorina からのようである。

Castello Eurialo Eurialo(エウリアーロ)城
Siracusa 郊外北西部

Mura di Dionisio Dionisioの城壁
Eurialo城の近辺。


4.Ortigia にある遺跡・名所
14.
Tempio di Apollo o di Artemide
     アポロとアルテミデの神殿

メインランドから島へ渡った所にある広場 Piazza Pancali の正面。
※11 Apollo(伊) Apollon(英)
ギリシヤ神話で音楽、弓矢、予言、医療、家畜、植民地活動等の守護神。
主神ゼウスとレトの子。妹神アルテミデと双生神。光明の神でもあり、後にしばしば太陽神と同一視された。ローマ神話の Apollo と同じ。(Apollo は勇気と美と若さの極致として造形化され、バチカン広場の大理石の彫像など、多くの美術作品の主題となった。)
※12 Artemide(伊) Artemis(ギ)
ギリシヤ神話で森や丘、狩猟、又出産を司る女神、ゼウスとレトの娘、兄神 Apollo と双生神、しばしば月の女神と同一視される。 ローマ神話の Diana ダイアナと同じ。
 
15.Tempio di Minerva ミネルヴァ神殿
Piazza Duomo にあるこの神殿は、或は Duomo ドゥオーモ(本山、大伽藍、また寺院の丸屋 Cathedral)と呼んだ方が通りがよいかもしれない。
ブルーガイド海外版「ローマとイタリヤ」によると"古代ギリシヤのアテナ神殿(前5世紀。7世紀以降ドゥオーモに転用)”とある。
また、前述 Siracusa 観光案内地図には“古ドリヤ式建築の Tempio di Minerva”とある。
従って、このミネルヴァ神殿は、イオニア式建築の現れる以前、即ち5世紀中頃以降シラクサの守護神として建てられたドーリヤ式アテナ神殿であったものを、ローマの支配下になった前200年頃以降、ローマの守り神ミネルバ神殿としたものではなかろうか、などと想像するのもおもしろい。おっと、タンマ!百聞は一見に如かずとか、行ってみるべし、聞くべし、そして話すべし。
※13 Minerva(ミネルヴァ)
ローマ神話の知恵、技芸、戦争を司る女神。ギリシヤ神話の Athena(アテナ)と同じ女神。
アテナ(ギリシヤ神)はオリンポス十二神の一つで、アテナ市の守護神、知恵と戦争、技術工芸を司り、戦争には勝利の女神ニケと共に軍をひきい、英雄を守り助け、平時には人々に技術や美術工芸、はた織りなどを教えた。
※14 ギリシヤ建築
前8世紀から神を祭るために、まず木造神殿があらわれ、前7世紀末から石造神殿建築へと継承された。前6世紀のギリシヤ神殿の核心は、コリントを中心に形成されたドーリヤ式神殿で様式は鈍重、前5世紀中頃のオリンピアのゼウスの神殿などを経て、遂にパルテノンの理想的神殿建築となる。
一方、小アジア沿岸やエーゲ海諸島の神殿は優美で女性的な
イオニア式で、細身の円柱の柱頭にのせられた渦巻型のクッションが特徴的。
更に、前5世紀から現われ、その後多用された
コリント式は殆んどイオニア式を踏襲し、ただ柱頭にアカンサス(現在観賞用植物)の葉飾りをつけたもので、以降ローマ時代にかけて一般化された。
ギリシヤ建築の基本単位は円柱組織であり、円柱を人体の比例にならって直径と高さをきめ、この円柱と調和して各部の比例を整えたもので、人間的尺度の比例をもつ建築とよばれている。
16.Palazzo Bellomo Museo ベロモ宮殿博物館
Via Roma の南端つき当り角の右側。

17.
Museo Nazionale ナジョナーレ博物館
趣味のある人にとって、見物の一つとして
Archeologico Museo 考古学博物館がある。 先史時代からギリシヤ、ローマ、初期キリスト教時代までの遺品が収められているこの考古学博物館は、多分 Museo Nazionale か、またはこの南隣にある古美術管理所、Soprintendenza alle Antichita の何れかと思われる。

18.
Fontana Aretusa アレトウーサの噴水
Foro Italico(Foro Vittorio Emanuele II) イタリコ広場の南端。Ortigia の地図に見出される三つの噴水の中の一つ。観光案内地図に紹介されているところをみれば、歴史も古く、由緒ある噴水であろう。
※15 Aretusa
ギリシヤ神話で、女神アルテミデによって小川に姿を変えられた森の精。

19.
Acquario Tropicale 熱帯魚水族館
Foro Italico の南端。

20.
Castello Maniace Maniace城
Ortigiaの最南端。

Fiume Anapo、Fiume Ciane Anapo川、Ciane川
観光案内地図に、Foro Italico からでる遊覧船で Anapo川を漫遊し、Ciane川の水源を訪ねることを推奨する、とある。
両者共、川口は同じ。 Foro Italico から約1.1浬(2,000m弱)西南西対岸。


   あとがき
上陸前の観光予備知識は、シラクーサが古代ギリシヤの植民地であったこと、アルキメデスの出生地、考古学博物館、前5世紀の古代ギリシヤ劇場、古代ローマの円形劇場、それに古代ギリシヤのアテナ神殿(ミネルヴァ神殿のこと)と、この程度のものであったが、さて、あとで観光地図を調べてびっくり。その気になればゆうに丸3日はかかるのではないだろうか。
殆んどが、地図をたよりの実に大雑把な説明ですが、多少なりとも参考になればと願っている次第です。
  おわり。
   


■シラクーサ地図
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